2017年1月15日日曜日

神あり盤

前々回、私たちは鑑定盤を占いの神様の示しとして、大切にしている事を書きました。


盤には、その時の相談の問題点、ポイント、どこに救いがあるか、ないか、など様々な事が端的に示されていて、そこにある見えない意思のようなものがあまりにも神聖だから、鑑定盤を占いの神様そのものの顕現として、大切に考えているのです。


これは言葉や文章ではとても説明できるものではなく、私はただ経験上そのような感覚へたどり着いた、としか言えないのです。


西行が神宮で詠んだ、


なにごとの

おはしますかは

知らねども

かたじけなさに

涙こぼるる


という感覚に近いと私は思っています。

理屈ではないのです。


その一方で、鑑定盤はシステマティックであり、自然界の法則に則っているものであり、そもそも9マスの魔法陣に数字と漢字を書いて、それがぐるぐる動いて、何でそれで人の運命が鑑定できるのかと聞かれても、よくわかりません。

適当なうんちくは言えても、本当のところは人智を越えたところにあるようです。


たまにお客さんから『見えるんですか?』と聞かれる事がありますが、私は特殊能力者でも何でもないし、お客さんが見ている数字と漢字の羅列を私も見ているだけで、そこから情報を得て話をしているだけです。

占いをしているだけです。


何だか自分で書いていても、何が何やらよくわからない話になってしまいます。


ただ、いつでも必ず神様が盤に降りるわけではなく、神あり盤と神なし盤といって、神がいなければそれこそただ紙に文字を書いただけとなります。


神ありなら盤自体をミスって書いても鑑定は問題なく、神なしなら盤が時刻に正確でも、なんの意味もなしとなります。


神なしになってしまう理由はその都度いろいろあるようですが、鑑定に対して作為がある時、鑑定にふさわしくない場所である時、などでしょうか。


実は私自身は喫茶店や飲食店で鑑定するのは苦手で(店にもよりますが)、喧騒や周りの人が興味本位で聞いていたりと、集中しずらく話したい事も話せず、雰囲気が雑然とし過ぎるのも、あまり鑑定には好ましくないようです。

とは言っても、出張の時などはやむを得ない事も多々あるのですが。


カルナティーラが出来て良かった事は、純粋に占いに集中して鑑定できる環境が整った事で、今までと比べるとむしろ静か過ぎて、まだ私自身も慣れてないくらいで、変に頭が回り過ぎてしまうようです。

自分が少し浮ついた感じになっています。

もう少し経てば、あの空間での鑑定を完全にものに出来ると思います。

そうすると、今までと少し変わる部分も出てくるかもしれません。


それはそれで、何でも良くなるぶんにはけっこう。


良い環境、雰囲気で鑑定したいという私の長年の願いが叶い、形になったのがカルナティーラです。

しかもスタッフである大切な人達と協力しあって、素敵な空間で喜んで頂ける仕事をしよう、という想いを共有できたのが本当に嬉しく、これからも大切にカルナティーラを育てていきたいと考えています。


まだカルナティーラ未体験の方は、ぜひ一度訪れてみてください。

日ごと良い雰囲気に仕上がってきてます。


それから、このブログでは小難しい事もつらつら書いていますが、実際の鑑定では常識的な言葉と内容で、わかりやすくお話しするよう心がけていますので、安心していらしてください。

KARUNA TI LA 占いの小部屋 ブログ終了します

 2015年1月1日に開設したこちらのブログ、ここ数年は放置になってしまいましたが、運営を終了いたします。 9年も経ったなんて、感慨深いですね。 9年前なんて、まだ30代だった・・・(汗) 歴史が詰まっています。(涙) KARUNA TI LAを始めてから、こんなに年数が経ってい...