2017年1月31日火曜日

納豆のゴールデンコンビネーション

納豆の食べ方について、一家言ある御仁は少なくないはずで、かくいうこの私も過去には様々な組合せを試してきたのです。



スタンダードが美味しいのは言うまでもなく、ごま油と塩、オリーブオイルと塩、高菜漬けと混ぜたり、シラスとねぎをトッピングしたり、汁に入れたり、豆腐にのせてみたり。



ありとあらゆるアイデアを試しては反省し、命ある限り納豆との孤独な闘いは続くのかなと思われたその矢先、ついにたどり着いたゴールデンコンビネーションがあるのです。



それは、



①生卵の黄身(国産餌の平飼鶏の卵)

②リンゴ酢(青森産リンゴ)

③醤油(三重ヤマニ醸造のたまり醤油)

④粉末からし 少々(北海道産からし)

⑤青ネギ(生か乾燥九条ネギ)



納豆の銘柄も決まっています。国産大豆、ひみつ。



なんという贅沢。

朝の納豆にどれだけの情熱かと自分でも首をかしげたくなりますが、毎度このゴールデンコンビネーションで頂きます。



というのも、私の夫は大の納豆ギライで、結婚してから何年も納豆を食べられない日々が続いたのです。



現在は夫を送り出した後に別々に朝ご飯を食べるようになったので、今まで抑圧されていた納豆への欲求が爆発し、ついでに納豆研究に勤しむこととなりました。



健康にも良いですしね。



でも匂いが残ると不快な思いをさせてしまうので、食した後は容器も厳重に処分します。



好きなのに自由にならない制約があるから、よけい燃えるのかもしれません。



納豆すきだー

2017年1月30日月曜日

KARUNA TIMES

2月からカルナティーラで配布する新聞を作っています。



カルナタイムズという名の月刊紙になる予定で、毎月の営業スケジュールと一緒に配布するつもりです。



おもしろくてためになる紙面になるといいな、と思いつつデザインを思案中。



カノンちゃんの新しいイラストものる予定です。



どうやら隠れファンもいるようです。かわいいですもんね。

2017年1月29日日曜日

珍きのこ



秩父の札所巡りの最中、山の中で珍しい(らしい)キノコが生えてるのを教えてもらいました。



白いあみあみのカサで変わったキノコ。



しかし、このキノコ、繊細な姿と似合わず、猛烈に!くさいのです!



周辺になんともいえぬくちゃい芳香が充満してました。



こんな経験もできるのが、巡礼のおもしろいところ。

2017年1月28日土曜日

御手水





御手水というと、龍の口からお水がでるものを多く見かけます。



都会では便利な自動センサー式も増えてきました。



けっこう珍しいなと思ったのが、ほら貝から出るタイプ。



写真は琵琶湖北の古い神社の御手水です。



ほら貝式は関西では珍しくないのかしら?



狛犬さんの研究家はけっこういらして本も出ていますが、御手水研究家なんて人もいるのでしょうか。



埼玉浦和の調神社の御手水はウサギさんのお口から出てきますね。



諏訪大社本宮には温泉の御手水があったり。



日本全国にはまだまだユニークな御手水がありそうな予感です。

2017年1月27日金曜日

寅の日





今日は朝から妙に毘沙門天さんの事を考えるな、と思っていたら寅の日でした。



『口に念仏のいずる時は神仏のご催促と心得てゆめ油断すべからず・・・』ではありませんが、そろそろ行かなければ。



つい先日、鞍馬寺の駅前にある天狗さんのお鼻が雪の重みで折れてしまったというニュースを見ましたが、鞍馬さんは不思議な山でした。



霊的な磁場が強いと言われ、いろいろな人達が集まる聖地ですが、全く摩訶不思議なところです。



とりわけ奥の院は、神の気とも仏の気とも何か異なる、一種独特な空間になっています。



不思議としか言いようがない。



ちなみに、霊宝殿でご眷属とコンニチワしました。



展示ケースとケースの間からニョロリと、大きなムカデさんが一匹出てきて、また去って行きました。



毘沙門天さんのお使いとコンニチワ。



山の中で行き先を検討していた時に、美しい外国人女性に道を教えて頂いて、雰囲気で外国の尼さんかなと思ったのですが、そのあとその方を霊宝殿で再度見かけました。



毘沙門天さんのお像の前で、深くもの想いにふけっているようで、何かこの世の痛みを一身に背負って瞑想しているような荘厳な表情が、忘れられません。



全く不思議なところだこと。



写真は鞍馬山の根元がねじねじの木。

2017年1月26日木曜日

ハート

これ、わかりますでしょうか。







半分クッション、半分いぬ。



三日月型のクッションで丸まる我が家のお犬さんです。



ハートの形にみえませんか。ツートンカラー。

2017年1月25日水曜日

功過格表

前回の記事をうけて、功過格表のお話です。



ネットに紫星会というところの功過格表がわかりやすく出ていますので、こちらをお借りして見てみましょう。



その昔、中国の雲谷禅師が人の行いを善行と悪行に分けて、善行を「功」、悪行を「過」として行いの内容によってそれぞれ点数で分類した表が作られたというわけです。



善行のトップは『1人の者の命を救う』でプラス100点、お医者様は徳の高い職業なんですね。



普通に生きているとなかなかこのような場面には遭遇しません。



高得点を狙うのはハードルが高くても、プラス3くらいのところから取り組めそうです。



プラス1の「饗宴に招かれても応じないこと1回(+1)」たまにはお付き合いを断る勇気も大切ですね。



「人畜の疲労を回復させること1回(+1)」カルナティーラもこうありたいものです。



むしろ難易度が高いのが+0.01の群で、「道路や橋を修理する」とか「倉を建てて活用する」とか、時代の相違を感じます。



「1つの気に入らない言葉でも聞き容れる(+3)」は身につまされます・・・わかってはいるけどなかなかできません。



善行(功)を見てきましたけれど、次に悪行(過)へいきましょう。



これの下のほうのプチ悪はけっこう思い当たることもあるのでは。



「二枚舌でもって1つの人間関係を不仲にしてしまう(▲3)」こういう事する人いますよね。罪深い。



悪口は▲5で、誹謗中傷は▲30とけっこう悪行レベルが高い。当然、殺人が悪の極み。



まぁ、悪行を読んでいると、襟を正さねば、となりますね。



功を積むのも大事でしょうが、過を犯さないようにする事も重要です。



本多常二郎先生の「こころの妙薬」で、『宿業の余罪重障にして・・・』という衝撃の言葉がありましたが、死んだ時に善行と悪行がトントンになっていれば優秀なほうで、たいてい悪をさらに重ねるようですから、日々精進ですね。

なむさん!

2017年1月24日火曜日

積善の徳

開運、開運というけれど、本当の開運は親子三代かかると言われていて、本当の意味で根底から家の運気をひっくり返すには、それぐらい長年のたゆまぬ努力が必要になるという戒めでもあると思うんですが、この仕事をしていると、人間は不平等な星のもとに生まれているのだと、まざまざとわからされます。



どの時代、どの国、どの親のもとに生まれるかで、環境によってずいぶん人生は左右されてしまう。



さらに、幸福のキャパシティが人それぞれ違うという事なんです。



 こうはっきり言ってもらったほうが、現実的で良いかとも思いますが。



金運をたくさん持っている人もいれば、全然お金に縁のない人もいるし、金運が弱くても他の運気が強いとか。いろんなバリエーションがあるわけで。



人それぞれ、宿命の構成要素が異なるので、それを可視化しようと運命学は発展してきたのですよね。



キャパシティが決まっているのに、それ以上のものを貪欲に取ろうとすると、他にひずみがきてしまうとも言われています。



金運を取り過ぎたために、お金は手に入ったけど代償として健康や寿命が減ったり、子孫の運気まで吸い上げて子孫が憂き目をみたりと、いろいろと戒めのお話は昔から語り継がれていますね。欲張ってはいけないんですねー。



そもそも、この幸福のキャパシティを増やすにはどうしたら良いか、というのは大切な話で、開運とはその研究でもあると思います。


この幸福の容量の増大が大変なのです。


方位を使う事も言われますが、時間はかかっても最も安全かつ確実に増やすには・・・

(投資の誘い文句みたい)



徳をつむこと。なるべく陰徳をつむことだそうです。



勘違いされている方がおられるので書いておきますが、陰徳というのは出来るだけ名前も顔も出さずに世のため人のためになる行為をする事です。



名前や顔を出したら陽徳です。何もしないよりはよほど良いと思いますが、こっそり実行されてこそ陰の徳となります。



徳を積むには何をすれば良いですか?と言われるのですけれど、いろいろあります。



人があまりやりたがらない事とか、縁の下の力持ち的雑務とかもありますが、お金に余裕のある人は社寺や困っている人に喜捨もいいし、お金のない人は社寺の掃除をせよ、ともいわれます。



また昔の聖人は便利なものを開発してくれたもので、積善の徳の参考になる『功過格表』というものがありますので、次回はそのお話をしましょう。



長くなったので今日はここまで。

2017年1月23日月曜日

肉じゃがの発祥

海軍というとカレーというイメージが強いけれど、おふくろの味の超定番、肉じゃがも海軍発祥ではないかとのこと。



「帝国海軍料理物語(光人社NF文庫)」にその経緯が語られていて、肉じゃが以外にも海軍料理のエピソード満載でおもしろいです。



軍隊時代に既に海軍の調理担当では、とても本格的な西洋料理の教育もされていたようで、やっぱり日本人てマジメなんだなぁと、手の抜かなさに感嘆しました。



詳しい内容は読んで頂くとして、私が驚いたのは肉じゃがを作る時の工程です。



まず、ごま油で牛肉を炒めて、味つけをして、蒟蒻とジャガイモを投入して、最後に玉ねぎを投入するとのこと。



水は一滴も入れずに、火加減で焦げないよう調整して、食材の水分でほっくり煮上げるそう。



玉ねぎが一番最後というのに驚いてしまった。



一番先に炒めるものと思っていたので。



これはさっそく次回、試してみないと。



でもおふくろの味の代表が、もともと男の料理だったなんて意外ですね。

2017年1月22日日曜日

しらたきの変身





きょうの料理でほりえさわこさんが紹介していた、「しらたきと切干大根のキムチ焼きそば」を作ってみました。



しらたきと切干大根を麺の代用として使います。



完成して食してみると、しらたきというより食べごたえのある麺料理という感じで、エビの出汁もきいてて意外なおいしさでした。



しらたきも切干大根も、よくカミカミしないといけないので、ボリューム感があって食べた満足感があります。



ヘルシー料理の企画のようですが、驚きのアイディアですね。



料理は創造力ともいわれますが、プロの料理家さんたちの発想には脱帽します。



ちなみに、おちょこは神亀のにごり酒で、濃醇でいけますよ。辛いのに合わせるとおいしい~。

2017年1月21日土曜日

墓について

古い時代の埋葬は、その土地ごとに異なった風習で行なっていて、今とは大分違うようです。



民俗学の本とか地方の風習の関連の本を読むと興味深く、エッ!と驚くような話もあったりします。



この前の勉強会の話題では、埋め墓と参り墓で墓を忌む時代の風習が残ったものか、墓参りはせず仏壇で全ての供養を行なう、というやり方のお宅もあるとか。



困ってしまうのは散骨で、なぜ困ってしまうかについては長々と書く事があるので、またいずれ。



それはさておき、亡くなってから50年以内のご先祖の月命日ごとのお墓参りは大事で、とりわけ祥月命日だけは、何があろうと万難を排して這ってでも墓参りへ行くべしと、これだけはこんこんと厳しく教えられました。



ご先祖もあの世でのご修行の最中、この祥月命日を心待ちにされているとの事。



こちらでは亡くなった日という認識ですが、あちらでの誕生日になるのですね。



菩提寺へ着いたら入り方は神社と逆で、(上座と下座が社寺で逆。神仏混淆の色濃い所はわかりません)女性のご不浄の時は同じく正式な入り方をしません。



ご本尊様へご挨拶をして、境内のご神仏・各お堂にご挨拶をして、歴代住職の供養塔にご挨拶をして、自家のお墓の掃除とご供養をして、無縁塔に拝して、と文字にすると盛りだくさん拝みますね。



大きいお寺でお堂が多いと大変そうです。



我が家は埼玉在ですが、菩提寺は世田谷にあり片道二時間近くかかります。



少し遠いけれど、結婚してから嫁ぎ先の祥月命日のお墓参りは欠かさず続けてこれました。



いつもお墓でお話する事は、まず家族みんな息災で仲良く過ごせている事の感謝と、いつも見守ってくださる事への感謝です。

それから近況報告や今の目標などのこと。



お墓という自家の聖地を通じてご先祖に感謝を捧げたり、心の中で対話できるというのはありがたい事で、これも平穏無事で過ごさせて頂いているからこそ毎月続けられる事です。



そしてお堂や境内には先祖の時代から見守り、ご加護くださっているご神仏がおられるのです。年季が入っている分、心強いことこの上なしです。



パワースポットだの何だのといって、よその神社や寺やらへ出かけて行くその前に、自家のお墓は自家だけの大切な聖地ですから、まずそこを綺麗にして、ご先祖を想って供養をするのは大切なことです。



自家のお墓には見向きもせず、草ぼうぼうで墓石も汚れっぱなし、供養もされずうらぶれているのに、よそのご神仏へ行ってお願い事をするようでは順序が違います。



墓へ行くと、大切にご供養されているお墓と、そうでないお墓は一目瞭然です。



ご先祖に気の毒な思いをさせないようにお願いしたいところです。



ただ、行きたくても墓がない人や、墓が遠い人、感情的な問題で行きたくないなど、今までも様々なお話はお聞きしました。



どうしようもない時は、置かれた状況なりに出来る事もあります。



ですが、墓があって行ける方はなるべく行って頂きたいと思います。



きちんとすると、不思議な事に運勢も変わってくるのです。



最近わかったのですが、同じく埼玉在の懇意のお客さんのご先祖のお墓が、やはり同じ世田谷で、しかも互いの菩提寺が2件向こうほどの至近距離だったこと。

これまた不思議なご縁を感じる出来事でした。






2017年1月20日金曜日

冬の華





花の中でも、冬から春にかけて咲く花には好きなものが多いです。



ラナンキュラスとジュリアンはこの季節にも鮮やかで、華やかでとても素敵。



かわいいですね~



カルナティーラのエントランスに植わっています。



今日は冷え込むけれど大丈夫かな?

2017年1月19日木曜日

りんごケーキ



りんごのケーキを焼きました。



作ろうと思い立って、りんごを全てケーキ用に切った時点で、スケールが壊れていたのを思いだし、粉類の計量できないやんけと冷や汗をかくも、カップと重さの換算表でピンチを切り抜け、いざ作製。



ケーキ作りもクライマックスにさしかかり、型に流したカラメルの上に生地を流したところで、クシ形に切ったりんごの山を発見。



カラメルの上に飾りのりんご並べるの忘れたやんけと二回目の冷や汗をかきつつ、一番上にのせてしまえと焼いて完成。



本当はカラメルにりんごがシャレオツ並ぶはずだったけれど、冷や汗かきながらのケーキ作りもなんとか無事に出来ました。



味はまずまず。

明日のほうが馴染んでおいしいそうです。

2017年1月18日水曜日

ダブルサイズケーキ

くだらない発明を思いつくのが好きで、日々思いついては忘れていきます。



お気に入りのケーキ屋さんのカットケーキがもう少し大きければなー、と思ったところから、ショーケースでカット二つ分の2倍サイズも選べたらいいのにー。



好きなケーキでワンカットでは物足りない、でもホールでは大きいという時に、こんなサービスあればいいのにー(>ω<)



きっとニッチな需要はあるはず。



でも丸いのとかはカットじゃないから無理ですね。



人間は酒かタバコか甘いものか、どれか一つは嗜好するそうですよ。



タバコはやりませんが、酒と甘いものの誘惑には負けますねー。




2017年1月17日火曜日

ハラマキの実力

昼間でもめっきり寒いです。



今年いまさらながら発見した優秀あっためグッズは腹巻です。



愛用の腹巻は内側がシルク、外側がウールの二重構造になったハイスペック腹巻で、これを身に着けると身体の中心周りがほんのりぽかぽか。



今まで冷えに苦しんでいたのがウソのようです。



もっと早く採用すれば良かったな~



家でパジャマの上に腹巻&レッグウォーマーを着けてぬくぬくしている姿を『バカボンのパパ』『のらくろ』と言われても気にしない。



レッグウォーマーがゲートルのようなので、初期のらくろ(本人は着けてないけど)を連想させるとかなんとか。どうでもいいですね。



体温を上げると免疫力も上がるそうですし。



起き抜けで低い時は34度台がでるくらい低い体温なので、36度台平熱まで上げるのが今年の隠れた目標であったりします。

2017年1月15日日曜日

神あり盤

前々回、私たちは鑑定盤を占いの神様の示しとして、大切にしている事を書きました。


盤には、その時の相談の問題点、ポイント、どこに救いがあるか、ないか、など様々な事が端的に示されていて、そこにある見えない意思のようなものがあまりにも神聖だから、鑑定盤を占いの神様そのものの顕現として、大切に考えているのです。


これは言葉や文章ではとても説明できるものではなく、私はただ経験上そのような感覚へたどり着いた、としか言えないのです。


西行が神宮で詠んだ、


なにごとの

おはしますかは

知らねども

かたじけなさに

涙こぼるる


という感覚に近いと私は思っています。

理屈ではないのです。


その一方で、鑑定盤はシステマティックであり、自然界の法則に則っているものであり、そもそも9マスの魔法陣に数字と漢字を書いて、それがぐるぐる動いて、何でそれで人の運命が鑑定できるのかと聞かれても、よくわかりません。

適当なうんちくは言えても、本当のところは人智を越えたところにあるようです。


たまにお客さんから『見えるんですか?』と聞かれる事がありますが、私は特殊能力者でも何でもないし、お客さんが見ている数字と漢字の羅列を私も見ているだけで、そこから情報を得て話をしているだけです。

占いをしているだけです。


何だか自分で書いていても、何が何やらよくわからない話になってしまいます。


ただ、いつでも必ず神様が盤に降りるわけではなく、神あり盤と神なし盤といって、神がいなければそれこそただ紙に文字を書いただけとなります。


神ありなら盤自体をミスって書いても鑑定は問題なく、神なしなら盤が時刻に正確でも、なんの意味もなしとなります。


神なしになってしまう理由はその都度いろいろあるようですが、鑑定に対して作為がある時、鑑定にふさわしくない場所である時、などでしょうか。


実は私自身は喫茶店や飲食店で鑑定するのは苦手で(店にもよりますが)、喧騒や周りの人が興味本位で聞いていたりと、集中しずらく話したい事も話せず、雰囲気が雑然とし過ぎるのも、あまり鑑定には好ましくないようです。

とは言っても、出張の時などはやむを得ない事も多々あるのですが。


カルナティーラが出来て良かった事は、純粋に占いに集中して鑑定できる環境が整った事で、今までと比べるとむしろ静か過ぎて、まだ私自身も慣れてないくらいで、変に頭が回り過ぎてしまうようです。

自分が少し浮ついた感じになっています。

もう少し経てば、あの空間での鑑定を完全にものに出来ると思います。

そうすると、今までと少し変わる部分も出てくるかもしれません。


それはそれで、何でも良くなるぶんにはけっこう。


良い環境、雰囲気で鑑定したいという私の長年の願いが叶い、形になったのがカルナティーラです。

しかもスタッフである大切な人達と協力しあって、素敵な空間で喜んで頂ける仕事をしよう、という想いを共有できたのが本当に嬉しく、これからも大切にカルナティーラを育てていきたいと考えています。


まだカルナティーラ未体験の方は、ぜひ一度訪れてみてください。

日ごと良い雰囲気に仕上がってきてます。


それから、このブログでは小難しい事もつらつら書いていますが、実際の鑑定では常識的な言葉と内容で、わかりやすくお話しするよう心がけていますので、安心していらしてください。

2017年1月14日土曜日

KARUNA看板









KARUNA TI LAのエントランスに設置する看板 が完成しました!



スタッフの手作り!かわいい。



普通のマンションのエントランスで、ちょっとわかりにくい入口ですが、ご来店の際はこれを目安にお入りください。

2017年1月13日金曜日

かんちがいの摩訶不思議

長年占いをしていると、自分が喋っているのか、喋らされているのか、わからないような事が時々あります。


干支九星術というのは、生年月日から星出しして宿命をみる盤と、お客さんがいらして話し始めた時間で鑑定盤をたてて、状況や対策など運命的な部分をみる二本立てで鑑定していくのですが、前者は生年月日で確定するので動かない、後者は鑑定のたびにその都度変わります。


なので、生年月日でみる占いはいつも同じと考えているお客さんも多いようですが、干支九星は易やタロットのように、その時々で変化する盤も使っているので、それはあてはまりません。


この変化する盤は、お客さんが鑑定にいらした年月日時で4つの盤を作ります。

時間の盤は二時間単位で変化しています。

(さらに詳しくする場合は10分ごとに変わる小時刻という盤もありますが、ふだんはあまり使いません。)


この4つの盤は私たちにとっては占いの神様の示しそのもので、これを正確に読み取り、必要な事をお客さんにお伝えする、という作業を行っています。


なので私たち占い師は、お客さんによって変化する盤とお客さんの間に立って、盤の示しを伝達する役割を担っているだけです。


先生から言われるのは、救ってくださるのは神仏(盤に出てくるいろいろな示し)であって、我々ではない。思い上がってはいけないと。


ただの仲介役ですから、占い師自身は偉くもなんでもないのです。

あたりまえですが。


ただ、とにかく精密に盤を判断し、何が示されているのかを正しく判断しなければいけないので、これがとても難しいからずっと勉強を重ねているわけです。


これほど重要な鑑定盤で、慎重に取り扱っているにも関わらず、うっかり八兵衛な事は起きるものです。

お客さんのいらした時間で作る盤を間違えて、異なる日や時間の盤で鑑定してしまい、全く気づかずに、お客さんが帰られてから、ミスに気がつくという事が時折発生します。


ここからが本題の摩訶不思議で、間違えて盤を作っても、最後まで気づかずに鑑定を終えた場合は、その盤で鑑定しなさいと言う示しであり、そこに神ありだからそのままでよし、と。


一方、鑑定の最中に盤のミスに気づいたら、その鑑定には魔が入っているので、鑑定を即刻中止せよ、との事なのです。


中止するといっても話が進行中なので、現実的には中断は難しいのですが。

しまった、ミスった!と気が付いてしまうと、けっこう焦りがでるもので、しどろもどろになってしまいますが、鑑定盤の話を続行するわけにもいかないので、さりげなく話を変えて、生年月日の宿命のほうに焦点を当てて流れを変えてしまいます。


本当に不思議な事で、ミスに気づかずに終えた時は、盤自体は間違っているのに、鑑定も結果も問題なく成立しているのです。



このような不思議は鑑定には多々あって、何か、目に見えない大きな存在(英語でいうところのgreat somethingでしょうか)を感じる事があります。

2017年1月12日木曜日

主体性

前回の続きで、


限られた時間の中でみれるのは表面の氷山の一角です。


なので鑑定であまり良くない内容でも、短絡的に悲観する事はなく、ではどうしたら良いか?

を考えてみる事の方が大切です。


『悪いです』


『はい、そうですか』


で終わりではなく、ではどうしたら改善の道がありますか?とお客さんも主体的に取り組んでみてはいかがでしょう。


占いは、活用するものです。


どうも、前々回の鵜呑みにも通じますが、占いは一方的に与えられるものと思われているふしがあるようで。


お客さんの人生はお客さんのもので、誰も代わりに生きてあげる事ができません。


それに心の中すべてを完全に見透かす事は出来ませんし、本当はこうしたいという心の声は、拙くても自らの言葉で語って頂いたほうが鑑定も真剣味が増してくるし、それをベースに有意義に話を展開しやすくなると思います。


その時点で、たとえ有効な手立てがなくても、その時の精一杯で何か出来るかもしれないし、逆にじっと時を待つべきかもしれない。


鑑定は第三者である占者と話をする過程で、運命学の観点から冷静に問題を客観視しつつ、どのような取り組みが可能かを探究し、今後に活かすものであってほしいと願います。


お客さんと、占い師と、占いの神様の三位一体で運命を切り開く礎を築くような時間がもてれば、鑑定の価値も高まるのではないでしょうか。

相性について

長く占うほどに、相性というのはとても奥が深く、単に良い悪いでは割り切れないものです。


鑑定では時間も限られているため、単純化してわかりやすく話をまとめてしまいがちですが、深く見ようと思えば底無し沼にはまりそうです。


ひとくちに相性と言っても精神的な相性、肉体的な相性、男女としての相性、ビジネスの相性などいろいろあるわけです。


自営のお宅でご夫婦としては良くても一緒に仕事をするとうまくいかないとか、友人としては良いけど恋人としてはみれないとか。 


とにかくパターンも複雑で、よくこんな事を占いで判断しようとトライして、洗練してきた占いの先人達は偉大です。


それはさておき、先日の講義において、理想的な相性で結ばれて、一緒にいる間はお互い運気も良く成功しても、何かの事情で別れてしまった場合、その反動が酷すぎて無惨な状況になってしまう事があるので、良すぎても怖さがある、という一例がありました。


相性が良いからと言って順風満帆とはいかないのが人生で、ほかの人やら要因やらが関わって、お別れとなってしまう事もあります。


良い相性でも結ばれない事もあるし、悪い相性でもベッタリという事もある。

相性だけで語り尽くせない部分が『縁』なのだと思います。


それに、たとえ相性が良くてもそれを良好に保ち続けるためには互いの努力が必要だし、本来悪い相性でも互いの努力次第で良い関係性を築くことも出来ます。





その努力の仕方をどうするかにおいて、占いはお役に立てるのではと思います。


けっきょくは相手を理解し大切にしようという、思いやり次第で関係性は異なってくるのかなという事になります。

一方的でもいけないけれど。


相性は一つの要素に過ぎないところもあり、ベースにその人の持っている運命的な傾向のほうが重要さを増してきます。


個人をみるのも複雑なのに、個人対個人の相関関係をみるのが相性なので、より複雑になって当然ですね。


ちなみに不倫相手と配偶者の星が似ているのはよくある事で、変えているようで、けっきょく同じような相手を選ぶようです。


再婚相手が前の配偶者とそっくりな星だったケースもあります。


なので、別れてから再婚までは三年空けてから探せ、とも言われています。

相手の気が残ってしまうから。

また同じような人と同じような失敗を繰り返しやすくなると。


まぁ三年も空けば運気も変わっているでしょうし。


相性、深いなぁ。

2017年1月10日火曜日

情報をうのみにする怖さ

前回のブログに続く話で、少し前から気になる事は、ネットに書いてある情報をそのままうのみにしてしまうケースが増えていると感じられる事です。

DeNAの事件もありましたし、ネットの情報にはいいかげんなものがずいぶん出回っているのも事実でしょう。

そもそも情報は自らの判断で取捨選択しなければいけないものだと思いますが、そのプロセスを完全に放棄してしまっている人はけっこう多いのでは。



また自分が門外漢の事に関しては判断材料すら持ち合わせないので、情報を精査しようがない。



これが本当のネットの怖ろしい所ではないのかしら。



情報だけは山のように入ってくるけれど、それをそのまま受け入れっぱなしで、受け手のほうにフィルターがない。

占いで会話していても、心配になる事があります。特にこの世界はスピリチュアルな話も関連してくるので、海のものとも山のものともわからない話が多いですし。

ネットは本当に便利でいろんな情報を苦労もせず与えてくれます。



結果自分の頭で考える事が麻痺してしまい、けっきょくどこの誰が書いたものかわからない記事を、信頼して良い内容かどうかも自ら判断せずに、流されている情報をそのままうのみにしてしまうようです。

アミナの事件も少女と思って真剣に交流していたら、実体は得体の知れないオジサンだったという悲劇でした。

このような事は表に出なくても現在も起きているだろうし、今後もいくらでも起こり得る事でしょう。

本来自分の頭を使って「考える」部分を他人任せにしてしまうのは危険な事だし、いかようにも他人に翻弄されてしまう。

小説やマンガなどのフィクションや娯楽ならば、別に誰が書こうがどうこうという事はないけれど、ネットにある情報はフィクションだかノンフィクションだか出所もわからないものが、まことしやかに書かれていますし。

これだけ情報が錯綜し、操作される世の中で、正しい情報を得るのは容易でないにしても、その努力は大切だと感じています。

正しい事を知ろうと思ったら、学ぶしかないでしょうし。

一つの物事を知るのに、関連の情報をいくつもいくつも収集すれば、たくさんの矛盾の中に大体こんなものというアウトラインが見えてくると思います。

脱線しますが占い師になって思った事は、こんなに勉強させられるのか・・という事。

とにかく本はたくさん読まなければいけないし、それぞれ流派もあるし、たいていよその事は悪く言う事が多いので、それは流して幅広く読んでいるうちに共通している事はが浮かびあがってくるもので、それを大事に取ればいいのだし。

私は以前から対面鑑定にこだわっていて、やはり大事な話はお互い目を見て話したほうが良いかとも思います。

対面鑑定は逃げも隠れもできないので、難しいご相談でも自分なりに力を尽くすか、力量を越えたら丁重にお断りするわけですが、お客さんを大事にするという姿勢からも、その「人」全体を見て鑑定するという観点からも。

今日はニュースでIT化、機械化が進めば、いま人のやっている仕事がなくなって職が少なくなるという話でしたが、そんな世界で占いというものがどのようになっていくのか、これからを生きる私たち占い師はその変貌を見る事になるのでしょうか。

2017年1月9日月曜日

A Gay Girl in Damascus

一日一ブログ書ければいいなと思いつつ、年末年始の慌ただしさで中断してしまいました。

ブログでさえこんな調子なのに、数日前の記事で書いた140日参りをよくやれたものです。若かったなぁ。

ところで、年末におせち料理を作りながらまんぜんと流していたテレビで、なかなかの衝撃を受けた番組があり、タイトルは「消えたブロガー〝アミナ″」でした。

超要約すると、シリア在のレズビアンの少女アミナが「A Gay Girl in Damascus」というブログを通じてシリアの現状や政治的問題などを発信し、それに様々な人々や西側諸国が巻き込まれていくという話。

途中アミナの安否が不明になるところから助けようという人々の熱狂が始まり、西側の公的機関も動くという大変な事態に至るも、実はアミナという少女は実在しない、ネット上で作られた存在であったというのが真実。

しかもアミナの正体はアメリカ在中の得体の知れないオジサンという顛末。

虚構の世界で発信された虚構の人物の物語が、現実の世界の人々を煽動し、世界を動かし、アミナに心を寄せた人達を傷つけてしまうというやるせなさ。

この番組の見所は問題提起が複層になっていて、宗教、政治、戦争、ネット社会の危うさ、ジェンダーの問題等、どの視点から切り取っても深く考えさせられる、それがこの番組のすごさだったと思う。

だから観終わった後もぐるぐる頭の中で内容を反芻しては、自分なりに考えてはみるけれど,

けっきょく純粋に怖ろしかった。

ネット社会への問題提起という意味でも、とても不安を感じる、後味の悪さがあった。

ネットの情報をうのみにする怖さから始まるが、最後は人間の尊厳とは何かというところまで行き着いてしまう。

複雑にいろいろ考え込んでしまう番組でした。

KARUNA TI LA 占いの小部屋 ブログ終了します

 2015年1月1日に開設したこちらのブログ、ここ数年は放置になってしまいましたが、運営を終了いたします。 9年も経ったなんて、感慨深いですね。 9年前なんて、まだ30代だった・・・(汗) 歴史が詰まっています。(涙) KARUNA TI LAを始めてから、こんなに年数が経ってい...