2017年2月9日木曜日

占い師の末路

その昔、占いの仕事というのは世の中を裏から見る事だと言われました。



実際、鑑定というのは、悩んだり困ったりするからおいでになる事が大半で、それこそ表の世界ではどうにもならないような話ももちこまれてきます。



人の世の苦しみ、哀しみ、恨み、人間の弱さ、汚さを嫌でも見させられます。



この仕事をするのは業が深いのだとも言われました。



占いが好きで、半分趣味くらいで鑑定に出る人にはあまり関係ないかもしれませんが。



占い師の末路は哀れ、とは有名?な言葉です。



実際、そのような顛末も少なからず見てきました。



それをふまえても、仕事としてやろうと思うのは、占い師の存在にそれなりの意義があるからだと思います。



私はいつも、泥の海の中に一輪の蓮の花を見出すような、そんな鑑定が出来たらと思いますし、その花を見せてくれるのはお客さん自身かもしれない。



泥の中にあってこそ、花の美しさもひときわ輝くことでしょう。



占い師には特別に信仰を持っている人も少なくないと思いますが、神も仏もないような、この世は地獄かと思うような話を繰り返し聞きながら、だからこそ日々真摯に手を合わせて祈るのだと思います。



少なくとも私は。



娑婆、生き地獄という言葉があるくらい、生きるというのは厳しい事です。



どうにもならない事を、お願いしているのに何もしてくれないという前に、神仏は私たちの良いように何でもかんでもしてくれる都合のいい存在ではない。



お経には苦しみ傷つく人を何とか救おうとしてくださる神仏の慈悲が説かれていて、それは必死なくらいに伝わってくるものです。



私たちは自らの命を真剣に懸命に生きる事で、その想いに自らをゆだね、そこに何か尊いものが生まれてくるのではないかと信じています。

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